実戦問答No.24


人事制度と人事制度を運用する人材 
(2011.11.17)

お蔭様で、このところ続けている「人事制度と人材評価の見直し点検の実戦的ポイント」セミナーでは、多くの受講者にご来駕いただき、ごいねいな感想をたくさん頂戴致しました。この場を借りて感謝申し上げます。

 
さて、そのセミナーの冒頭付近で毎度申し上げていることであるが、人事制度そのものと人事制度の運用はどちらが大事かと言うと、現在では、私は2対8くらいで、運用の方が大事だと思っている。
 
もちろん、全くとんちんかんな人事制度の設計をしてしまえば別だが、そういうことは当節あまり起きない。何しろ情報が多過ぎるくらいある。ごく「普通」の感覚を持った担当者が、自分の会社の体質、構造に合わせてごく「普通」に設計すれば、「普通」はへんなことにはならない。この「普通」は、能力のことを言っているのではなく、「素直」と言い換えた方がより正確だろう。ここで一発当ててやろうなどと考えると、まず変なことになる。くじなら当たることもあるが、自分の会社の体質、構造に合わないことを奇をてらって行えば、必ず運用が破綻する。
 
が、繰り返すが、これはもはや、だいぶ減っては来た。
 
とは言っても、運悪くはまりこんでしまえば大変なロスになる。よってその例を少しだけ挙げておきたい。 20年以上前だと、全社各部門から精鋭人材を集めて、それこそのべ何百時間も費やし、精細な文字がびっしり詰まった百ページ以上もある「職能基準書」と言うのをつくった。あれがもう時代おくれであるとは今は誰でも言える。が、その全盛時に、こうしたものをつくっても組織が活性化するわけではないと言った人はあまりいなかった。そして何より、「職能基準書」たちは無事使命を終えたからお役御免になったのではなく、結局はじめから活用されなかった。
 
10年前だと、今度は膨大精密なコンピテンシーモデル体系がつくられた。しかしそうした書類上の「作品」が社員を活性化したと言う話はまず聞かない。コンピテンシーと言う概念自体は結構だが、その活用を誤った会社は少なくなかった。私は、毎半期ごとに上司が、部下1人分のコンピテンシー評価を行うために13枚も書類を作成しなければならない「作品」を見て驚いたことがある。私にご相談頂いた担当者は、それを「創作」した人ではなく、それを引き継いで運用しなければならなかったのだが、ラインマネジャー達が、むろん使いこなせるはずがない。どうにもならないので、私に助言を求めていらしたのである。私にもどうにもならない。物事はもともとが間違ってしまったことを、運用で直すことは不可能であるからである。
 
この何年間か、目標管理の業績評価において、数々の精密な測定基準を大変な労力をかけて運用しようとした努力も、ほぼ徒労であったことがはっきりしてきた。このことは、実戦問答No.10にて既に述べた。
 
では目標ではなく、そのもととなる役割を精密に定義しようとなって、アメリカの職務給顔負けの詳細な職務記述をしようとするような動きも折りに目にする。が、そうしたものが組織と人材を活性化したと言う話はまず聞いたことがない。役割は、自分の行動を一層主体的、積極的、自律的にするために定義するなら有益だが、共通客観の「評価基準」にするために定義しても、むしろ硬直を招くのが普通である。ではアメリカ企業(と言っても大手企業だけの話だが)がなぜ職務給のようなしくみを取らねばならないかは、主たる理由は本来別にある(詳細は、拙著ポスト成果主義の人づくり・組織づくり98頁以下をご参照くだされたい)。
 
要するに膨大な分析結果の書類に物を言わせようとする人事制度設計は、だいたいにおいて誤りである。そう言うことは研究機関や学者がやればいいので、活きた現実の企業にそのまま符合するはずがない。
 
しかし、こうした誤りが、現在は臨床実験結果の情報が共有され、だいぶ少なくなったと言うことである。  運用が大切と言ったが、よりはっきり言えば運用する主体としての人材が大切なのだ。その人材とは、人事担当者がまず第一だが、人事担当者が自分のつくった制度の浸透に思い入れがないと言うことはあまり起きない。だから何といっても、個々の社員に接するマネジャーたちがだいじなのである。言い方を変えれば、マネジャーたちに自社の人材マネジメントの考え方や理念をどれだけ浸透させ、それを実行するよう働きかけることができるかが、上述「運用8割」と述べた主内容であると言ってもよい。人事制度は、それを運用する人材の意思と動機、もっと言えば情熱によって値打ちが決まるのである。これはいわば私の宿論でもある。
 
少し前に、ベテラン中堅社員たちの研修でこんなことを体験した。ホンネで問題点を語り合いましょうと言う討議を行う中で、ある人は、マーケティングや販売促進上の課題をずっと述べた。が、最後に、

「実は、本当に言いたいのはそこではない。」

と言う。「そこ」とは、商売上の苦労である。
 
個々人の努力によっては簡単に克服できない構造上の問題は簡単には局面打開できない。昔のビジネスモデルで育った上司が

「それを共有してくれないのがまず残念です。」

と彼は言った。さらに言葉を継ぐ。

「そこまでならまだいい。いちばん言いたいのは・・・・・」
 
周囲のメンバーは、皆黙って聞き入った。

「私は実は、等級の給与の上限に引っかかって3年ほどになるのですが・・・・・」
 
意味は人事のご担当者ならすぐわかっただろう。賃金体系を、等級別賃金表、給与バンドなど、いろいろな表現をするだろう。が、昔と何が違うかと言うと、各資格等級の賃金の上限が明確に決められて、そこに達すると、等級が昇格しない限り賃金が上がらないか、昇給が制限を受ける。この制度自体は、今日格別奇異なものではない。程度は別にして、そうしないと、人件費管理が硬直化して、結局は適正な配分と言う人材マネジメントも柔軟性を失う。この人は続けた。

「私は、この数年、そんな状況でも何とか目標は達成してきたし、その他の面でも格別問題があったとは思えない。それなのにどうして昇格試験すら受けられないのか、疑問に思い、それを面接の時、上司に聞いてみたのです。」

「・・・・・」
 
全員しんとして聞く。

「ところが、上司に『それは人事部で決めていることだから私はあずかり知らない。私に聞かれてもどうにもならない。』と言われたのです。」
 
さすがに私も驚いた。こんなに絵に描いたようなまずい応対がいまだにあったのか、と。これではどんな立派な人事制度をつくったところでその趣旨が運用されるはずがない(この会社の人事制度も、たいていの会社と同じで、成果と能力の向上、役割行動の強化がねらいである)。そしてこの人が受けた心のダメージがどれほどのものか想像してみて欲しい。そしてこのような思いをする人が他にもいるのではないかと思うと、誠に痛切である。私は何も情緒論を言っているのではない。このような目にあった人が、そのあと、従前以上の気力、動機、向上心を持ち続けて任務に取り組めるものだろうか。そうでないとしたら、それはどれほど組織にとって大きなマイナスになるだろうか。情緒どころではない。たいへんな実害である。
 
運用とはさほどに重要である。
 
もちろん私は、誰しもが望めば必ず昇格できると考えているわけではない。しかし、努力に対しては機会が与えられ、その機会を、能力向上を含む成果に結晶化できたら、昇格させるべきと思う。まああたりまえな話だ。そう言う健全な空気が醸成されていないと、人事制度は活きないのである。この例は人材マネジメント運用の根幹部にあたる事例である。すぐ私たちは、運用と言っても、日常の人事考課が部門によって甘いとか辛いとか、そうした頻度の高い問題に目を奪われる。が、少々甘くても辛くても、会社として、適時に適切な人材が昇格するよう、努力した者には挑戦の機会が与えられていれば、そうしたことは本質的問題にはあまりならないのである。
 
ともあれ、人事の担当者が、宣教師のような情熱を内に秘めながら、逆に優れたコーチのように相手の深い気づきを待つ謙虚な粘り強さを兼ね備えて、多くのラインマネジャーたちに、自分たちが設計した人事制度の趣旨を、浸透させてゆくことを願ってやまない。より多くの社員の方々の動機、やる気を向上させるため、少なくとも減じさせないようにするために。

 


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