その11:個人場面とは意思決定の場面である

(2011.10.29)

■個人場面とは意思決定の場面である                                 
次は、個人場面である。対人場面、集団場面に比して、ひとりの場面だから、こう言う言葉を用いているが、意味から言えば意思決定場面である。
 
読者が職場に戻った時に、現時点で抱えているいちばん困ったやっかいな問題を思い浮かべて欲しい。思い出したくはないかも知れないが、ここの説明にいちばんわかりやすいのでご容赦願いたい。そのような問題は、あなた自身の責任で、どう対処するかを決めなければならない。それをきれいに言うと「意思決定」と言う。この場面における対処のしかたで、結果が大きく変わって来ることもまた自明である。物事は、最初になかばが決まってしまうのだ。と言って、リスクが恐いと言ってずっと放置すれば(つまりマネジメント上は決断力がないと言うことだが)、より大きな悪い結果をいずれもたらすことも必定である。
 
最近は何でもコンプライアンス、ルール遵守とふたことめには出てくるので言っておくと、意思決定と権限の所在は、直接関係はない。自分の問題を解決するために、たとえば予算承認権限を保有する上司なり役員なりに申請をするのはごくふつうだが、だからと言って自分の問題解決の責任が上司に振り替えられるわけではない。手続き上承認を得るだけのことで、「いかにしてこの問題を解決するのか」はどこまでいっても当事者である自分自身に問われることである。
 
そういう意味では、意思決定場面と言うのは孤独なものである。もちろん重要な意思決定に際して、他人の意見を何も聞かないのではいけないが、と言って誰も助けてはくれない。自分自身の責任で決めなければならないのである。マネジメントを行う人は、その孤独を楽しむくらいがちょうどよい姿なのだろう。が、係長職制をなくした会社では、管理職になる前に、この孤独の予行演習をする機会がぐっと減ってしまった。最近自動車の大手企業などで係長職制を復活する動きが見られることは、その意味ではとても喜ばしく思う。
 
そうした意思決定をするとき、読者は「いろいろ考える」だろう。大切な問題であれば、熟慮する。「いろいろ考える」を、きれいな言葉で言うと、状況を「分析」し、「判断」を行い、「計画」だてて物事を進め、その進み具合によっては「調整」したり「統制」をかけたりしなければならなない。最後はリスクを計算し、それが甘受できるかどうか「決断」しなければならない。こう言う流れになる。実はそうは言っても、以上はそんなにきれいにステップを踏むものではなく、渾然一体となっている。だから「いろいろ考える」と言う方が、マネジメントの本能的実戦的動態をうまく表現しているわけだ。いろいろ考えるにも、ずいぶん質的上下があることを私たちは経験的に知っている。その場面のことだ。
 
個人場面とは、言いかえれば、いかにしてことをはかるかと言う場面である。そういう意味では、わざわざ手の内をさらけ出す人も少ないから、これは対人場面、集団場面と異なり、人の胸中奥深くにしまわれている内容だから、ふだんは他人からは、よくうかがい知れない場面でもある。そこで、研修において、その場面を浮き彫りしようと言うことで開発されたのが、案件処理演習(インバスケット)である。


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