読書日誌3:「挑戦する経営」千本倖生著

(2011.07.19)

この著者千本倖生氏と言う名は、かつての通信自由化、電電公社民営化の時代、今は日本航空の会長を引き受けられた稲盛和夫氏が、京セラの社長として、乾坤一擲の大勝負として第二電電への進出を果たされた時のパートナーとして、記憶に残っていた。
 
と言うより、私も、数多い稲盛和夫ファンの一人であり、その自伝、評伝をずいぶん読んだのだが、その一代の企業家人生の物語の中で(まだ完結していないが)、いちばん読者が血わき肉躍る部分が、その第二電電設立から、KDDIにまで成長してゆく過程の、特にその前半ではないだろうか。その一代記の白眉たる部分において、カリスマ経営者に見出された千里の馬として登場したのがこの千本倖生氏である。
 
だから書店で見つけて迷わず買い求め、一気に3度読んでみた。そのくらい中身が濃い。
 
私の感想をひとことで言ってしまえば、こんなスーパービジネスエリートがいるのだろうか、に尽きる。そのくらいそのご経歴は華麗にして鮮烈である。それでいて、著書から伝わって来るお人柄には、少しも選良意識がない。高潔な人格と、たぐいまれな能力とを、同じ器の中に少しも違和感なく盛っておられるようだ。私のようなごく平凡な人間には少し想像の着かない域である。
 
どのくらい華麗かと言うと、京大を優秀な成績で卒業し、電電公社に入る。2度にわたり米国に留学し猛勉強し、その中でも秀才をうたわれる。日本に戻って重要な部局を歴任しつつ、やがて通信自由化の時代に遭遇した。ついには稲盛和夫氏との邂逅を経て、電電マンでありながら、電電公社のライバルとなる第二電電(DDI)を設立。これがエスタブリッシュな存在になると、惜しげもなく地位を捨てて今度は慶応ビジネススクールの教授に転じる。第二電電のサクセスストーリーは、時代のケーススタディは、あのハーバード大学に2度も採り上げられたと言う。せっかく就いた教授職も、4年あまりで退任し、イー・アクセスを起業し、日本におけるブロードバンド普及に大きく貢献した。もう落ち着くのかと思うと、今度は、イー・モバイルを設立して、モバイルブロードバンドの概念を現実化した。後半ふたつの企業では、何百億円、何千億円と言う起業資金を、幾つもの国際的ファンドから、ビジネスを遂行する人間の能力とそのプランだけで次々と引き出して来てしまう。まるで神業である。
 
それにしてもやはりいちばん面白いくだりは、第二電電設立のくだりだった。1980年代初頭、電電公社民営化が議論の俎上にのぼり、電電公社生え抜きではない、時の総裁真藤恒氏も、民営化を支持する方向だった。が、内部には、強く保守的な考えも多い。そうした中で、千本氏はそのまたさらに先へ突き抜けて行ってしまう。「電電公社民営化だけでは不十分だ。きちんとした競争力を持つ競争相手が存在しなければ、日本の通信事業の未来はない」と言う信念を持つに至ってしまった。人はやがて千本氏を「異端者」と呼ぶようになった。これはごく平凡な日本人である私には、命名の方が正しい?ように思う。
 
どこの世界に自らが拠って立つ権益の内側にいながら、その基盤に挑戦を許す相手を育てようとする者がいるだろうか。この本にもたびたび名前が出てくる、孫正義氏が、自由な立場から幕末の志士のごとく権力や既存権益に挑戦するのとは全く意味が異なるのである。そうした志士達を陰ながら支援した勝海舟ですら、幕府滅亡まで幕臣の立場を貫いた。時代背景は異なるが、千本氏のこの後の行動はそれを超えている。この時千本氏は、さすがに明確に表現していなが、そのイニシアティブを取るのは自分以外にはいないと言うもうひとつの信念も育てていたのではないか。
 
若いころの千本氏は、ごく普通のとびきりの秀才(奇妙な表現だが)だったように思える。だから電電公社と言うこれ以上はない安定基盤を持つ保守的組織に入ったはずだ。ところが40才前のこの時点で、こうも進取の精神に満ちた人物になっていた。こうしたご自身の変容にはあまり多くの筆を割いていない。私のような仕事をしている者にはむしろそうしたプロセスに関心がゆく。人はどうしてそこまで変わりうるのか、と。誠実な秀才が革命児になってしまった。眠っていた資質が、変革の時代に遭遇すると呼び覚まされることがあるのだろうか。ライバル孫正義氏のほうは、その評伝を読む限り、どうみても少年時代から革命児である。
 
千本氏は、米国留学中の体験の影響を述べられる。それは大きな刺激ではあったろうが、ごく若い時分のお話である。やはり、電電公社の中堅管理職となってから、任務の性質上どうしても政治絡みの案件が多いから、政治家や官僚、労働団体の方々とのなまなましいやり取りが増える。そうした場面を通じて彼らの「内臓の中をのぞいた」体験が大きく影響しているように見える。そうした経緯に関してはまだ語れないことが少なくないと言うのは当然だろうが、われわれ読者には残念なことだ。
 
そしてついに機会は来た。1983年、通信業界の変革に関するセミナーを京都で行った。講演後、それを聴講していた京セラの社長だった稲盛和夫氏が、千本氏に歩み寄った。稲盛氏は千本氏の異能をすぐに読み取ったに違いない。たちまち意気投合となった。私の手元にある別の本には「おまえさんんみたいな型破りは、電電公社のようなところでは収まりきらんと違うかい。」とさっそくスピンアウトの招請に近いことを言ったという。数度稲盛氏と会ううちにすっかりその力量に引かれた千本氏はついに切り出した。
 
「二番目の電話会社を民間でつくりませんか。」
 
現職の電電公社の、異端児とは言えエリート職員の発言である。その際、経営とおカネを稲盛氏に支援してもらわねばならない。
 
「最初の数年で、1千億円は必要になります。」
 
千本氏のプランを聞き終わると、稲盛氏には珍しいはずの嘆息を漏らし検討を約束した。このあと、稲盛氏が自分の決心をついに純粋に結晶化し、私心を捨てて国民の利益のためにこの事業に乗り出していった過程は、稲盛氏関係の書物に詳しい。当時京セラのフリーキャッシュフロー、つまりは金庫に入っている自由に使えるおカネは1500億円だった。
 
「そのうち、1千億円をおれに使わせて欲しい。」

と役員会で言ったという。カリスマ経営者の面目躍如である。その時点では、蟻(京セラ)が象(電電公社)に戦いを挑むような実力差であり、無謀と評する識者が多かった。失敗すれば、京セラは跡形もなく消え失せてしまう可能性も現実味を帯びる。私などはその場にいた他の役員達の気持ちがどんなだったろうか聞いてみたいものだ。「30年近くいばらの道を歩んでここまで育てた会社なのに、何もここでいちかばちかの賭をしなくてもよいではないか」と思った人がほとんどなのではないか。しかし稲盛氏の決意はもはや岩より固い。
 
こうして稲盛氏との邂逅により、千本氏はついにルビコンを越える決心をした。その決心をただ一人の人物に伝えておきたかった。それは公社総裁である真藤恒氏である。しかし、職階序列で言えば雲の上の人だ。一計を案じた千本氏は、大阪発東京行きの飛行機で、真藤氏の隣の席に滑り込むことに成功する。ほんの少しの面識しかない若造が総裁の隣に座ったのに、真藤氏は不興がらずに平然とした態度で問うた。 
 
「私に何か話があるのか。」
 
千本氏はかねての持論をゆっくりと伝えた。民営化された新電電には強い競争相手が必要である、と。真藤氏は穏やかに聞いていた。そして一息入れて千本氏は言い切った。
 
「そう言う会社を私がつくろうと思います。」

「えっ」

と言って真藤氏が、鋭く千本氏を見た。これには剛腹な真藤氏も驚いたろう。稲盛氏と一緒にやりますと言うと真藤氏はうなづいた。千本氏は、厳しい叱責を覚悟でこの場に来ていた。しかし真藤氏は最後に言った。
 
「私は現役総裁だから、ライバル会社をつくることは賛成はできない。しかしそこまで国の将来を考えておまえが稲盛君とやると言うなら、私は黙認する。」
 
アクションラーニングのセッションの間のように、この真藤氏の最後の言葉の重大さを、氏の立場に照らして、しっかりこのブログの読者とともに味わいたいものだ。私はこのブログのつい最近の「実戦問答19」で、人の上に立つ者の度量と言うことを論じた。真藤氏のこうした態度を「大度量の人」と言うのであろう。こうした大度量に接した千本氏の感動はいかばかりであったろうか。そしてその後の第二電電立ち上げの辛苦にあって、この真藤氏の言葉がどれほど心のささえになったであろうかは想像に難くない。それから30年近く、残念ながらどうやら収縮期に入ってしまったらしい日本社会では、こうした大度量に出会える確率が減ってしまった。
 
こうしてスタートした第二電電、DDIは、今日のKDDIの隆盛から逆算してしまうと、当時の当事者達がたどった苦難の道は想像が着かない。そうした中で、あの稲盛氏が、わかっていたたことではあっても当座はおカネが出て行く一方なので、幹部にはいらだちを隠せない場面もあったと言う。と言って、大きな流れとしては、その堅忍不抜としたたかな計算力に深く敬意を表している。私は、千本氏に、もう少し稲盛氏の具体的な言行を記述して欲しかった。現存至高のカリスマ経営者稲盛氏を評することのできる有資格者などそうはいないからである。
 
私はスーパー「ビジネス」エリートと千本氏を評した。上級公務員試験等のキャリア組の秀才官僚といちばん違うのはこの前後からの千本氏の言行である。表現を変えれば、本書が魅力あるのは、こうした事業立ち上げの場面で、千本氏が、自らどろどろになって多くの部下と艱難辛苦を共にしてゆく場面に満ちているからである。頭脳が異能であるばかりか、リーダシップも抜きんでて発揮できる人だったのだ。
 
本書の最後の方で、自戒をこめて千本氏は述べる。日本の経営者はウェット過ぎると。この「読書日誌」の前号にて採り上げた伊那食品工業の、塚越寛会長は良い意味でその最たる例かも知れない。経営者の判断基準の第一は、株主のベスト、第二は事業の将来性、感情は3番目であると。この場合の感情とは、塚越氏と同様、従業員や仕入先との信頼関係を何より大切にする気持ちを言う。千本氏も、情義をとても重んじる人である。その温かみが、本書全体に貫かれている。それでもこう言わねばならない。千本氏のたどった軌跡からは、それを言う資格があるのだ。そしてIT業界における株式公開企業とはそうでなくてはならないのだ。伝統の家業が徐々に発展するのではなく、最初から百億円千億円の単位で株主に出資を求めなければ成り立たない事業であるからだ。
 
そんな凄まじい世界にはやはり偉才異能にして行動力もまた抜きんでた千本氏のような人物でなければ、この成功は成し遂げられなかったのだろう。読み終えると、ため息が漏れる逸書である。

 


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