実戦問答No.19


人事考課における上司の度量と納得性

   ~人が育つ上司の、評価における態度的特色~ (2011.7.09)

今回も人事考課の話を続けたい。
 
この数年、人事考課研修をお手伝いして感じることがある。それは上司の度量と言うことだ。だいたい「度量」「広量」と言った美しい日本語も使用頻度がだいぶ減ってきて残念に思う。せいぜい「包容力」であるが、これはいまだ意思的であり、度量、広量と言えば、もはや自然に身についた語感だから、マネジャーとしてより習熟成熟が進んでいるように思う。「力量」、「器量」と言うことばもあるが、こちらだと、業績を上げる能力、戦いに勝つ抜きんでた能力を濃厚に含むだろうから、資質才能に左右される範囲がずっと大きくなる。だが「度量」なら、努力だけでもかなり身につけられるのではないか。

■部下の落ち度を見つけたくてしかたのない上司Aタイプ
人事考課研修は、通例ケーススタディを用いる。そのケースの人物の行動や成果を評価するわけだ。そのケースのどのポイントに着眼するかは人の自由と言えばそうなのだが、どうあっても部下の落ち度が見つけたくてしかたない人は、一定割合必ずおられるものである。私はこの仕事を始めて20年たつが、その割合は残念ながら?少しずつ増えてきたように感じる。昔の上司に比して上述「度量」や「包容力」が少し足りないわけだ。
 
仮にこの種の上司を上司Aと名づける。ことわって置きたいのは、別にこれは全人格にタイプのレッテルを貼っているわけではない。むしろお人柄なら、この手の人は、温かみがあって他人に親切なことも少なくない。ところが部下を見るときの態度が違って来るので、その部分だけを指して言っている。
 
どんな立派な人物でも、弱点のない人などいないだろう。ましてや、発展途上の未成熟な部下だ。ケーススタディを読んで、欠点短所を探せばいくらでも出てくる。そんなに欠点短所が多ければ、評価も低くてよいではないかと感じられたかも知れない。欠点短所を探すなとは言わないが、かんじんなことは、長所利点を探すエネルギーを、それと同じ程度以上に注いだか、である。だいたい上司Aは、短所を探索する半分の力も長所を探すために用いない。それでは公平な評価にならない。
 
仮に同じだけ力を注いだとして(既に上司Aには大変難しいのだが)、なにがしかの長所が見つかったとしよう。今度は、先に見つけた短所と長所とのいずれが大きいかと言う、きわめて当たり前な比較衡量を行わなければならない。ただ、上司Aは、今度は、自分が気になってしかたのない弱点をついつい過大に見積もる。それが客観的にいちばん重要な点なら問題ないが、気になってしかたない点と言うのは、だいたいにおいて上司の情念が色濃く表出される箇所だから、結果としてたいていそうはならない。情念とは、好悪とほぼ同じ意味だからである。
 
要するにハロー考課である。ハロー考課と言う言葉と概念を説明するのはさして難しくない。何が難しいかと言えば、それに陥っていることを自分で気づくことである。人は誰しも経験に根ざした価値観を持っている。価値観と言うと、ミッションステートメントに、これが我が社の価値であり、信条だと、普通は美しいしらべを伴った文脈で語られるかも知れない。しかし、価値観は良い面ばかりではない。特にこうした評価の場面では、むしろ限られた経験に限局された価値観は、視野の狭さ、判断の誤り、固定観念につながることが多い。

■より大局的に部下を見る上司Bタイプ
自分で気づかなければ、他人が気づかせるしかない。以下のような会話をあるある会社の人事考課訓練のグループ討議中に横にいて聞いていた。ケーススタディの主人公は、セールス専門職的営業係長である。  「顧客からのこのような値引き要請を社に持ち帰らず、上司の事前承認なく、受け入れたのはおかしい。」と言ったのは、上司Aタイプのようだ。それに他の上司が反論する。こちらを上司Bとしよう。
 
「あんた、この場合にそんなこと言っておったら、商売にならんと違うんかい?」
 
「しかしこの額の値引きは、通例管理職の権限と思いますが。」
 
「そやからそれを言うたら、『そんなもたもたした会社やったらもうええわ』と言われてしまうで。この商談、落としてもええんかい。」
 
「いや、それは困ります。」
 
「だからそんなもん、あとで追認したらええのや。おまえ、ようその場でまとめて決着させてきよったと言うて。」
 
ケーススタディにおける状況は、実は相当さし迫っていた。従って、事例の主人公は、自律的に判断し、やむなく自分の責任で、すぐさま要求を受け入れていた。少なくともそう言う剣が峰に立った状況であると理解していた受講者の割合のほうがずっと多かった。
 
「しかし、それではけじめと言うものが・・・・・」
 
「これだけ力のあるベテランの係長を、あんた、そないに信頼できへんの?」
 
「・・・・・それにしても、その場で値引きの幅をもっと狭めるとか、そう言う努力をしていない。」
 
「この状況でそんなこと言うたら、商談全体が御破算(ごわさん)になるんとちゃうの?」
 
「・・・・・いや・・・・・そんなことにならないように、うまくやらないと・・・・・」
 
「こんなせっぱつまったところで、あんたそんなことできるんかい?わしはようやらんわ。」
 
「・・・・・」
 
どうやら二人は、それぞれ、関東出身と関西出身らしい。そして会話が本質に近づいた。この場合の係長の行動が○になるのか×になるのかは、会社の方針によって結論が異なってもよい。ただしどちらを取っても、上司の態度は一貫していなければならない。不公平な評価と言うのは、最後に上記のように「あれもこれもうまくやってくれないと困るのだよ」と言う語尾がくっつくことが少なくない。この場合の公平さと言うのは、係長の立場に対してどれだけのレベルの期待や責任を課してよいかと言う意味だ。この例だと上司は何もリスクを負わなくてよいと言うことだ。そんなうまい話はない。相手は、営業担当役員でも営業部長でもない。1係長である。この場合×をつけるなら、一貫して部下に以下のように言えなければならない。
 
「君ね、お客様の言いなりになって値引きをしてはいけないので、ひとねばりふたねばりしてこないといけない。それが営業と言うものの本質で、そうでないとお客様ともよい関係が構築できない。それでもし結果として失注になるなら、それはそれでしかたない。それは君の責任ではない。」
 
この考えと、かなり難しい事柄を「あれもこれもみんなうまくやってくれ」とでは、どれほど公平さに差があるか、どうか味わって頂きたい。そして、部下への動機づけに至っては天地の差となる。
 
さて仮面を取ってみると、もっと評価と言うことの本質に近づける。この場の上司Aは、現職の営業所長、上司Bは、工場長であった。普通なら意見が正反対になってもよさそうだが、なぜか逆になった。ひとつはっきり言えることは、この営業所長は、自分の過去の経験に基づく価値観から逃れられないまま評価をくだした。工場長は、そう言うものから解脱して自由かつ素直にストーリーを受け止めて評価を付した。会社としての結論的正解をどちらにするかは別として、評価者個々人の取るべき態度としては、周囲で聞いていた人には学びの多い会話となった。
 
さてもう少し会話が続いた。上司Aはまだ納得できないのだろう。今度は少々周辺的なことを指摘した。上司Bは言う。
 
「おいおい、そんな細かいことはどうだってええやないか。」
 
「細かいと言うことはないでしょう。」
 
「おまえさんの部下になるのは大変だな。成果を上げるよりも、いつもハシのあげさげ、一挙手一投足に気をつけとかんといかん。」
 
「そんなことはないが・・・・・」
 
「さぞ品行方正な立派な部下が、毎度育つのやろうなあ(笑)」
 
こうなるとまわりの他のメンバーもげらげら笑うことが多い。さしもの上司Aもばつが悪い。  

さて以上の会話において上司Aにいろいろ指摘した上司Bは、より抽象化、標本化すると、部下の成果や行動をより大局的に見る上司、つまりは度量のより大きい上司と言えよう。結果論で言うと、評価の正確さは極端な差にはならなくとも、部下の育つ度合いがぐっと変わる。これが大きな違いだ。上司Bにはどんな態度的特色があるか。以上からぬき出して行くと以下5点である。
 
■部下の行動と成果を大局的に見る
第一に、評価する前に、その枠組みを大局的に確認している。上記会話で言うと、係長が、差し迫った状況下で自らの責任で最悪(失注)を回避するために行動したことを是と認め、成果極大化の面、手続厳守の面、交渉方法の細部の面などの、何もかもうまくやると言うようなことは、一般の係長としての期待役割を超過したものと判断している。ここは目立たないが恐らくいちばん重要な点なのである。もちろんそのような差し迫った修羅場を自らの過誤で招いたなら評価は別だが、このケーススタディはそうした種類のものではない。
 
少なからぬ割合で、上司は、こうした前提を確認する前に、設定した目標のできばえ、つまりは達成率、打率を測る。プロ野球とアマチュア野球で、同じ打率を残したからと言って同じ値打ちと思う人は誰もいない。与えられた課題が係長相応だったか、難し過ぎたかやさし過ぎたかを考えないで、打率だけで評価したらそれは当然不公平である。全ケーススタディを読んでいない読者にとっては、難し過ぎたかやさし過ぎたかはわからないかも知れないが、上司Bにそれを判断しようとする観点があったことはご理解頂けると思う。ここで言いたいのは、そうした観点を持って評価に臨む上司の方が少ないと言うことである。

■評価と改善の混同を避ける
以上の延長に出てくることでもあるが、第二に、その部下の行動を見るときに、上司Bは、過去の評価と未来の改善を混同しない。仕事の改善のネタは、よく言われる通り無限にある。それを指摘したり要望したりすることと、過去の事実を評価することとは全く別次元である。が、上司Aは、そこが癒着してしまう。つまりは後講釈が多い。「この時こうできたはずだ、あの時ああすればよかったのだ」と言うのが言い出すといくらでも出てくる。この場合で言えば、「値引きの幅を交渉すべきだった」がその例だ。
 
自分の行動をふり返ることはとても大切だが、評価のように自分以外の他人の行動をふり返るときに、冷静、公平を堅持できる人はさほど多くない。聞いていると、その多くは、その時点の枠組み、制約条件では、あまりほかにやりようがなかったことが多い。その枠組みを変えるための将来に向けての改善なら明るく前向きに話せる。が、その時点ではなしえなかったことを指摘されマイナス評価されると、部下は、次から努力することそのものをあほらしくなってやめてしまう。それはそうだろう、やってもやらなくても低い評価なら「やらないほうがトクだ」と誰でも考えてしまうではないか。ここが2タイプの上司が、部下の心理の理解に大きな差が生じる点だ。そして何もしなければ失敗も起きないから、減点も食らわずかえってトクをしたと言うことが、上司Aのもとでは起きやすいのだ。  

■育成の途上のステップ
第三に、上司Bが持っている態度は、評価と言うものは、本来、未成熟な部下を一層育てるために、現時点の人物像を正確に捉える途中のステップに過ぎないと考えていることである。上司Aは、精密な評価をもってプロセス完結と思っているふしがある。評価と言うのは、枝葉末節は別にして、本質において正確公平であればよいので、むしろ問題はそれを部下が深く受け入れ、自らの向上に役立てようとするかどうかが最後に重要である。上司Bはそこを見ている。上記の例では「こんなにがんばってる係長を信頼しないのか」と言う旨の発言にそれが現れている。この実戦問答の前号では、同じ部下を預かり続けるなら、評価が正確になるのは当たり前なので、部下が伸びて成長してナンボであると言う旨を述べた。上司Aは、逆に、評価が正確であれば、もしそれを受け入れない部下がいたとしたら、相手の性格や人間性の問題に帰したがる。
 
時にはいくら努力してもわかりあえない部下もいるだろう。何か根本となる背景が全く異なる場合だ。だが、そこまで上司が努力しているならば、周囲の誰しもがそれを肯定的に見ているものだ。
 
■微細な行動は論じない
上司Bの第四の態度的特色は、本質と関係ない微細な行動は、プラスマイナスを問わず、ばっさり捨ててしまって論じない。人の評価は、3つないし多くて5つくらいの最重要な事実に基づいて決めるのがよいだろう。細かいことをあげつらって全部帳簿に載せて帳尻を合わせようとしたら、時間がいくらってもできないし、説明の時混乱してかえって説得力を損なう。上記の会話の最後の方の「あなたはずいぶん細かいことを言うのだね」はその好例であった。
 
いろいろな事柄が気になってしかたのない上司Aには、次の自問自答を行うことをお勧めしたい。「今、あなたが気になってしかたのないことは、彼を評価する上で、口に出して言わねばならないほど重要な事柄なのだろうか」と。そうでないのに言いたいがために言えば、あなたの上司としての権威と信頼を高めるゆえんとはならないだろう。最初の方で述べた情念考課、ハロー考課は、なるべ避けたい。  

■しっかりと受け止める
第五に、これは上記会話からは看取できないが、私の経験上明らかな点として以下述べておきたい。上司Aは、評価のフィードバックにおいて、もしも部下から反論があれば、どうあってもそれを論破し、言い負かそうとする。そうしなければ自分の地位が冒されると、途中から錯覚してしまっている時もある。ほとんどの場合、部下は上司に甘えて依存したいに過ぎない。それを全部はそのまま肯定しないとしても、何も本気になって言い負かし、屈伏させる必要など少しもない。
 
これに対して上司Bは、そうした場面で概して鷹揚(おうよう)である。部下とは今後もずっと密接に意思疎通して協働してゆかなければならないのだ。その部下が少しはまともなところがある人間なら、上司である自分とのキャリアの差はわかった上で反発しているに過ぎない。そんなことをいちいち真に受けて斬り結ぶ必要など少しもない。しっかりと部下の感情を受け止め、傾聴する。上記第三の育成的態度の結果、自然にそうなる。「まあ、君、言いたいことはよくわかったよ。」と言う姿勢が基本にある。「君の努力は誰より私が知っているよ。その君でも今回は力が及ばなかったのだね」と言う人もいる。上司にそうした態度をされていつまでの一句一節の評価評語にこだわり続ける部下がいるだろうか。もちろん日常の部下への支援は、こうした意思疎通を成り立たせる絶対の前提だ。
 
このような情景は、つまり何だろうか。
 
そう、評価と言うのは、誰しも言っている通り、最後は「納得性」だけが問われるのである。人事制度論から言えば言い尽くされた平凡な事かも知れない。だが、この凡事を、ひとりの上司として貫くのは、さほどたやすいことではない。表現を変えれば、どのマネジャーも、空気を吸うようにこれが自然にできるという会社はまだ見たことがない。ゆえに、人考課研修のお手伝いを引き受けると、いつも終盤には焦点をここに移したフィードバック面接等のトレーニングをする。意を通じない評価は、たとえそれが「正解」であったとしても、残念ながら値打ちを生じないのだ。誰しもそれを改めて知る場面である。会社の体力を高めるのは、新奇なローマ字の手法ではなく、こうした基本の鍛練である。

■部下が動機づけられる度合の大差
もう一度念のために言うが、以上は、上司が2タイプしかいないと言う意味ではない。評価と言う問題に直面した時に現れるふたつの標本パターンを述べたので、たいていの人は、その間のどちらか寄りに位置することになる。
 
さて、私の経験上、評価そのものの客観性、公平性は、ハロー効果やいわゆる厳格化傾向が薄い分だけ、上司Bの方に少し分があるだろう。しかし部下が動機づけられる度合いとなると、以上のように大変な差を生じる。大変な差が1年ならまだいい。それが3年、5年10年となったらどれほどのことになるだろうか。ここがこの小稿の訴えたかった点である。
 
私たちは、さらに精密な評価よりも、評価と動機づけにおける今一層積み増した度量を求められるステージに差しかかっているように思う。

 


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