実戦問答No.27


人事考課の客観性ということを 
(2012.05.31)

■客観性の保持はマネジメント能力そのものである

 

人事考課の客観性と言うことをもう少し述べておきたい。

 

客観性こそは、公平性と納得性の基礎をなす原点であり、客観性がなければ絶対に公平も納得もあり得ないからである。

 

「私は客観的に部下の評価をしているつもりだ」とあるマネジャーが口にしたとしよう。これはほとんどの場合、実際は「公平にやっているつもりだ」という意味であり、「好き嫌いで人を評価してはいない」と言う意味のようだ。そのような意識だけで、真の公平性を保てるかはもちろん課題が残るが、少なくともこれは客観性とは直接関係はない。

 

客観性とは、そのような態度の問題ではなく、マネジメント能力、その中でももっとも重要と言ってもよい判断力と密接に結びついた人事考課における必要条件である。経験の浅いマネジャーは、一般に客観性を、人事考課要素や人事考課表その他、会社のしくみのほうから与えられるものであり、それに乗っかっていればおのずと客観性が具備されると思い込みがちである。ある程度まではそう言える。しかし、客観性というのは、そんなに底の浅いものではない。客観性は、多くの部分を、マネジャー個々人が自分の主体的な判断力により構築しなければならない要件である。

 

拙著「ポスト成果主義の人づくり組織づくり」にて述べたように、人事考課の客観性をもっとも簡単に測れる質問が次の2問である。

 

その第一は以下である。

 

「あなたのある重要な部下の、この1年間の評価を今から行うとして、評価の上で重要な事実を、重要な順に5つ、すぐに言えますか。」

 

第二の質問が以下である。

 

「重要な事実が言えたとして、その点が重要であると、少なくとも8割がたは、部下と認識が一致していますか。」

 

■客観性を確認できるのは当事者だけである

 

客観性の有無は、会社や他人が決めるのではなく、まず何より上司部下の当事者の間で客観的でなければならないのだ。そして上司と部下は立場や観点が異なるから、最後の評価が異なることがあるのはしかたないが、「何を評価すべきか」が当事者間で一致していなければ、そもそも話にならないのだ。ある特定期間に具体的に何に重きを置いて評価すべきかは、当事者間でしかわからないし、「客観的な第三者」には決してきめられないのである。

 

ここが初期の成果主義の大きな誤りのひとつだった。ある特定の上司と部下との間において何が重要な事実であるか、当事者以外の誰がわかると言うのだろうか。目標シートや評価表などを、誰が見てもわかるように書きなさいなどとよく成果主義の導入期に言われたものだが、その仕事のことを知らない他人がそれを見て何か重要なことがわかるのだろうか。わかるのは、評価ルールにのっとった足し算や掛け算が合っているかどうかだけである。それと客観性は何も関係がない。客観性とは、どこまで行っても事柄の中身の問題である。

 

より正確に言えば、客観的な第三者がわかるのは、これこれが評価上重要な事実であると、具体的に説明され述べられた時に、その判断が妥当であるか否かだけである。そういう手間ひまのかかることを、進んで社員ひとりひとり全員に行うわけにはゆかない。だから、評価の不服申し立てと言うイレギュラーな状態に制度的にどう備えるかを考える一方で、基本は上司の評価力、判断力に信頼を置かなければ運営できるものではない。それゆえ、教育や訓練が大切になるのである。

 

何が重要で何が重要でないかを決定する能力は、マネジメント上の判断力そのものである。なぜならこの世でただひとりの特定のある部下の、この世で1回きりのある行動や成果をどう評価するかは、人事部が何百ページマニュアルをつくっても、それに基づき機械的に測定することはできない。自分が主体的に判断決定しなければならないのである。こうした応用、適用を行うためにマネジャーがいるのだと言うことを、マネジメントをスキル、技能の一種のように考える方には、このプロセスがアナログに過ぎて、なかなかわかってもらえないことがある。ここは権威の力を借りよう。かの碩学ミンツバーグも言った。「すぐれたマネジャーほどアナログを好む」。考課者訓練をやっていても、その時点における実力の分かれ目は、まずこうしたあたりに出るものだ。キャリアの浅い人ほど言う。「そんなややこしいことを討議するより、基準を決めてくれ。」と。

 

■事実を重要な順に言う

 

まあ、重要事実を5つと言ったのは理想で、3つか4つでも、すぐに出でてくればまず十分である。これが数分以上かからないと出てこないようでは、客観性は入り口で早くもあやしくなってしまう。

 

「事実」であるから、「彼は私の方針をよく理解していない」「目標設定が挑戦的でない」「問題解決における状況判断が適切でない」というような抽象的なものではない。これらは評価の結論そのもので、そう評価する前提が具体的で妥当なものでなければならないと言う話が客観性である。上司と部下とでつむいできた、重要なストーリーの中から抜き出してきた、活きた事実でなければならない。

 

実際に人事考課訓練などを行うと、「重要な順」ではなく「思い出した順」に言う人も出てくる。もっと言うと、少なからぬ上司は、「気になる順」に言う。気になる順とは何かと言えば、ありていに言えば「気に入らない順」である。どうして上司というのはこうも気に入らないことはしっかり覚えているのだろうかとおかしみを禁じ得ない時がある。しかし、私もひとりの上司としては笑えない。

 

「気に入らない順」が、「重要な順」に偶然合致すれば何も問題は生じない。しかしそういうことは残念ながらまず起こりえない。だから、ここで冷静に判断力を用いなければならない。「今自分が取り上げている事実は、彼の評価に大きな影響を与えるほど重要なものだろうか。」

 

■軽微な事実を評価対象にしない

 

この判断プロセスは、言い換えれば、「軽微な事実を評価対象にしない」と言うことでもある。軽微な事実とは、つまりはどうでもよいことである。どうでもよいことを指摘することほど効果的に人のやる気をなくさせる方法はない。そしてむろん客観性が損なわれる。

 

ついでに言うと、これは、私が部下や頼まれたクライアントを、評価の専門家、つまりアセッサーとして育成するときに、初期段階において強調する点でもある。細大漏らさず事実を拾って来るのはよい。しかしここで言う軽微な事実はある段階で捨て去らないと収拾がつかなくなってしまうのである。

 

人事考課において、こうした軽微な事柄が大きく響いてしまうのは、ほとんどの場合上述のように、自分の気に入らないことにこだわっているからである。

こういう点が、評価者研修などを行っていると、効果が如実に現れる点でもある。「おい、君、そんなこまかいことはどうだっていいじゃないか。」と同僚の管理職から言われるのがいちばん心に響くのである。さらに言われるかもしれない。「そんなことまでいちいち気をつけていなければならないのでは、君の部下をつとめるのは本当に大変だね。」

 

偉い役員に呼ばれてそう言われたらその時は直立不動で聞いているだろう。が、汗をかきながら内心では「偉い人は現場をご存じない」と思っているかもしれない。人事部員に「マニュアル通りやってください」と言われたら、「はい、わかりました」とふつうは言う。が、実は、重要顧客のクレームを思い出してうわの空で聞いているかもしれないのだ。似たような日々喧噪の修羅場の中にいる同僚マネジャーに言われるといちばん響くわけだ。

 

■仕事熱心さと評価の客観性の区別

 

以上のように、人は自分の都合、好悪や情念がはさまると、とたんに評価に関する判断力が低下する。情念情熱は、もちろん上司自身の仕事の達成、任務の遂行には大いに用いればよい。しかしここは場面が違うと言うことが、仕事熱心な上司ほど区別がつかないことが少なくない。さらには、自分の立場上の都合、利害からいったんは離れて部下の行動を見ることは誠に至難である。

ここまで来ると、客観性と公平性の境界がだいぶあいまいになってくる。実際両者は、本質において重なり合うものである。が、ここでは一応事柄の軽重に関する評価力の程度を客観性、人間(部下)の性格や行動傾向に対する好悪の癖を公平性と区別しておく。

 

■客観性とは単純な結果ではなく脈絡である

 

客観性はなお奥が深い。

 

重要な事実とは、目標管理の件名や、単なる出来不出来の結果とは、幾分異なるものである。ある重要な目標が達成できなかったとしたら、それ自体は何もしなくてもわかる。そういう結果になった背景、原因、プロセスがここで言う重要な事実である。もちろん役員や上級管理職の評価なら結果だけで十分だろう。が、人事考課が問題になるのは、実際の多くは一般職と初級管理職である。

 

もしも部下がなまけていて、あるいは必要とされる能力が明確に不足したため達成できなかったのなら重要事実としてはそこでおしまいでいい。しかし、そういう単純な事例はさほど多くはない。

 

たとえば、与えた課題や、目標が、その部下の資格等級に比して難しすぎたならどうだろう。逆にやさし過ぎたらどうなのだろうか。あるいは、課題以前に、普通の人の5割増しも日常業務のボリュームがあったらどう見るのだろうか。

 

多くの場合これらを論じることすらしない。それでいて当初の目標の何%できたかとそちらばかり見る。そういうのは、繰り返すが、客観性ではなくて算数の確認である。目標や課題の大きさなど、人によってきれいに同じにそろうはずがないのだから、それを無視して達成率だけ論じるのはほとんど意味がない。

 

あたりまえだが、難し過ぎたら評価を1段上げ底にするしかない。そうしなければ、算数の帳尻が合っているだけで、評価結果は誠に不公正と言わざるを得ない。意図は別として、係長に課長レベルの課題を与え、やや不十分な結果ならB評価(普通)とすべきである。こういう時、仕事の面で優秀な上司ほど、評価と育成がごちゃごちゃに混同しがちである。「彼の資質やチャレンジ精神を期待して難しい課題をあえて与えたのになぜがんばりきれないのだ・・・」と言うわけだ。その「期待」というのが、さきほどから言う「情念」であり、仕事には絶対に必要だが、評価には不要だと言った意味がご理解頂けたろうか。評価の場面で必要なのは、レベルの違う課題を与えたと言う物言わぬ重要な事実のほうである。

 

「本人が自分でやりぬくと約束したのだから」と言う話もあくまで指導育成上の観点だ。「一度口にしたのなら最後までやりぬきなさい」と言うのは、部下をより育てたいから言うのであって(言ったほうがよいのだろう)、どう評価するかは別次元なのだ。

 

もちろんひどく不十分な結果ならC評価でよいのだが、このあたりは繰り返すが、よくよくよく判断してつけないと、次から部下がチャレンジする気持ちをなくすだけの結果になる。難し過ぎる課題に対して、普通の結果が出たならA評価である。逆にやさし過ぎる課題だったら、結果がよくても普通の評価に戻す。

 

こういう調整をせずに、どうあっても事前計画の達成率だけで評価したがる人を、口の悪いジャック・ウェルチ(GEの前CEO)は、著書で「単なるバカ」と呼んだ。目標設定と人事考課とは、本来別次元のものなのである。私は、上級管理職は結果だけの評価でもいいと裏腹なことを言ったが、実際は、結果数値至上の権化のように見えるウェルチですら、幹部社員の評価におけるこうした微妙さを認めているのだ。

 

以上のような脈絡は、結果が定まってからでないと、まずわかるものではない。

 

上述のように、「この部下にはまだ難しいがあえてやらせる」と前もって意図的にしている場合は、私たちが思っているほどは多くはない。現実により多いのは、繁忙と切迫の中で、「よくもあしくもこうするしかない」と言う待ったなしの取り組みがずっと続く場合である。当然当初の想定とはひどく異なるプロセス展開になっているはずだ。そんな時には、プロセスをふり返ってみて初めて難し過ぎた、やさし過ぎたと言うことがわかるのだ。

 

■機械的評価のもたらす無益と徒労

 

難易度だとか、ジョブサイズだとか何やらの事前尺度を精密に検討するのは、ほぼ徒労であると、この実戦問答10にて述べた。要するにこの種の努力は、なるべく評価を機械的に行いたい、それが、恣意が入らず公平だと言う考えに基づくようだ。起こりうる重要な変化をすべて先に読み込むのは不可能である。それを無視して内容や実態を把握しない機械的な評価を行うなどは、考えられないくらいばかばかしいものだ。そしてさまざまな現実の臨床結果から見ても、この種の間違った精密さの追求が、成果主義の典型的失敗例につながったことももはや明らかである。

 

この種の係数を精密にすればするほど、人はそのおおもとをあいまいにする。やさしい目標を設定し、これは困難だと上司にいっしょうけんめい説明する。上司は疑問に思い、いろいろ質問する。部下はまた難しさを証明しようと熱弁をふるうかも知れない。これほどの時間のむだが世の中にあるだろうか。そういう無益の論議をしている時間があったら、少しでも多く顧客を訪問しその声に真摯に耳を傾け、あるいは現場に出てコストや品質の改善に努めるほうが、いったいどれほど建設的であり、会社と社員自身に資することができるだろうか。こうした時間の空費は、やがて大変なロスとなりツケとなってはねかえるだろう。

 

■事前目標に載っていない重要な成果

 

もうひとつ、評価者訓練をしていていつも問題となるのだが、事前に目標設定した事項以外のことで、達成された重要な事実があったらどうするのだろうか。これも、多くの場合、まったく無原則でまちまちに委ねられている。しかし、これを無視したら、評価の客観性などはまったく失われてしまう。基本的には、重要な事柄が達成され、それが組織や職場に役立っているなら評価すべきである。

 

そうすると「それは勝手にやったことか、上司の承認を得てやったことか」と言ったことを気にする人もいる。私はそういうことが問題になるほど、日本の上司は、組織運営力のない人ばかりとは思っていない。部下が自分のあずかり知らない事項に取り組んでいれば、ごくすふつうに「何をやっているのだ」と質問するだろう。部下がきちんと説明できてなるほどと思えば続行させる。無益と思えばやめさせるだろう。まあしばらく様子を見るかと判断して黙って待つうちに成果が出たと言うこともあるだろう。

 

テーマアップをどっちが先に口にしたかなどは、多くの場合どうでもよい事ではないだろうか。つまり「重要な事実」ではない。何となれば上司も職場もその成果を享受しているではないか。それでも気にいらないと言うなら、評価には加えず、かつ事実も、部下の改善以前に戻すべきである。つまり出てきた成果は、非嫡出だから承認しない、もとに戻せと言うことだ。そうでなければつじつまが合わない。

 

以上の客観性は、評価の本質に関わることであり、折を見てまた述べたい。

 


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