月刊人材マネジメント連載記事その4


「横山太郎が語る現場のアクションラーニング」その4

   〜アクションラーニングコーチの決定的な重要性〜 (2011.06.16)

第4回 アクションラーニングコーチの決定的な重要性

 

コーチでなければ起こし得ない変化

 

アクションラーニングにあっては、コーチがいなければ起こし得ない変化、意識改革ということがある。

 

デービッド・ケーシーという人がいる。アクションラーニングの偉大な創始者レグ・レバンスのお弟子さんである。彼は論文の中で既に30年以上前に、それを述べている。問題を保有したメンバーが、問題の本質に直面することを避け、自分の殻の中にこもろうとしているときに、それを破るよう支援できるのは、多くの場合ファシリテーター(コーチ)だけだ、と。

 

多くの場合と言うのは、他のメンバーの中にそれをする人がいればコーチがしなくてもいいと言う意味だ。ケーシーが言ったように、私も経験上その確率は低いことを知っている。なぜだろうか。メンバーは、通常は、会社の同僚または何らかの友好的関係にある者どうしである。ある同僚が、問題に真正面からぶつかるのを避けていると気づいたとしても、それを正すよう促すのは勇気もいるし、自分はどうなのかと問われるかも知れないからだ。

 

問題に直面し、自律的に向き合うことは、アクションラーニングの真髄である。それができなければ、アクションラーニングは、散漫な閑話休題になりかねないリスクがある。そのくらい重要な事だ。ケーシーは、このあたりを、学びとは、時に愉悦であり、時に苦悶であると述べる。多くの場合は、多少はコーチの助けを借りながらも、メンバーどうしでそうした真髄に迫ることができる。しかし、それがかなわない時には、コーチは、一線を踏み越えて、その真髄をつかみ取るプロセスを、自ら関与して築いてゆくことができなければならない。私はこの論文を読んだ時、主として自分が経験的に構築してきたコーチ術が間違っていなかったと確信することができた。

 

ケーシーが指摘しているのは、意識的に問題を直視しない場合のことだ。実務的にはもうひとつ重要な事がある。我々は固定観念のために問題の本質にそう速やかには至れないことが少なくない。この場合も、メンバーどうしの質問だけで、時間内に本質に行きあたれる事は、確率的にそう高くはない。どうしても各メンバーは、自分がたどってきた経験に基づき問題を判断するから、部分部分は当たるかも知れないが、大局的な本質を括り出すところまで行かないことがある。コーチと言う立場で、どんな問題にも等距離で一点も曇りのない透明な気持ちで取り組まないとできない本質的な質問もあるのだ。逆にそう言うことができなければ、コストを払って外部コーチを雇う意味などありはしない。ケーシーの表現を借りれば、コーチは「他のメンバーに抜きんで出て良質な質問が行えなければならない」となる。全く同感である。これができないのに、コーチは、問題の内容に関わるべきでないかどうかと言った議論は全く無益である。

 

詳細は、恐縮ながら拙著「リーダーの質問術17手」に述べた幾つかのストーリーをご覧頂きたいが、メンバーが自らの殻を破れるよう支援したり、フリーズした局面を転換させたりするのは、誰もしない時にはコーチができなければならないのである。

 

「本当に望んでいることは何ですか」

 

「態度を保留し続けると最後はどうなるのですか」

 

「その過去の例は今直面している問題にあてはまるのですか」

 

「決心した以上、いっときは不運な結果が生じても受け止められますか」

 

「あなたが全権限を持っていたら本当にそのように行うのですか」

 

こうした質問が、円滑にメンバーから出てくる時にはコーチは楽だし、逆に、やがてケーシーの言う愉悦の雰囲気の中で、外部コーチはお役御免になる時も近い。が、それほど円滑でない時の方が多いだろう。本質に迫らない質問ばかりが続いているのにそれを放置して時間が来たら終わりにし、メンバーの「自律」と称したり、「このセッションから何を学びましたか」などと「学習」をそ知らぬ顔で問うのはコーチとしての責任放棄である。それは座談会ではあってもアクションラーニングではない。どうでも良いことを何時間話したとしても何も学びは生じないのだ。そこで語られるのは空虚な修辞学に過ぎない。厳しい現実を日々過ごすマネジャー、実務担当者が、修辞と作法のために1日2日費やすのは耐えがたいことだ。主催する企業の側もそれはむろん同じである。

 

以上のように、コーチは、仕事を引き受けた以上、預かったセッションのメンバーに深い学びをもたらす支援を行い抜くことを、自分の使命に賭けて誓わなければならない。古代ギリシアのピポクラテスが、医療を志す者に、必ず誓わせた条々を唱えるように。

 

コーチに必要な資質

 

ではこうした変化は、私がコーチですと名乗れば誰でも起こしうるのか。この問いには、私は少し厳しい見方をしている。再びケーシーに学ぶと、そのようなコーチに必要な資質を彼は5点挙げて、従来の教師的な立場とは随分異なる内容を要求されると言う。それは以下だ。

 

 1.曖昧さに対する耐性

 

 2.開放性と率直さ

 

 3.終わりのない忍耐

 

 4.人が学びゆくことを観察する、飽くなき願望

 

 5.感情移入

 

彼が「資質」と言う言葉を使っているのに注意が必要で、つまり習えば誰でもできる「スキル」ではないと言う意味だ。それは彼が偉ぶっているのではなく、どんな仕事にも向き不向きがあると言う、本来当たり前なことである。細かいことにはこだわらず行動的な人は、セールスマンはできても、専門会計士に向いているとは言いがたいだろう。

 

コーチングの世界では、やたらとコーチの免許者が増えたが、現実には、組織の第一線のマネジャーや実務責任者を相手にコーチングができる技量を持った人はほんの僅かではないか。ではなぜそんなに免許取得者が増えるかと言えば、そうした資格取得を促し事業とする人もまた多いからだろう。そうした状況がわが国の企業人教育、能力開発の世界にとって良いことなのかどうか。たとえば天外司郎氏は、著書の中でこうした状況に強い警鐘を鳴らしている。アクションラーニングもそうした状況になりかねない。私が見る限り、何らかのアクションラーニングコーチの資格を持っていますと言う人のうち、苛烈な現実世界に活きるマネジャー達の中で、まる1日コーチをやらせて勤まりそうな人は、申し訳ないが10人に1人もいないように見受ける。外科医どうしはいっしょに手術をすると相手の技量は5分でわかると言う。

 

「ならばおまえはなぜアクションラーニングコーチが勤まるのか」と聞かれたら、それはアクションラーニング自体の机上の勉強をしたことは、それほど重要なウェイトは占めていない。私の場合なら、20年間、仕事を依頼された企業の中に深く漬かり込み、その利害を真に理解し、喜怒哀楽をなるべく共有してきたからである。だから私よりも才能あって経験を積んだ人は、数年でも私より上手にできるだろう。しかしこの才能は、碩学ミンツバーグが喝破したように、明らかにMBA資格を取るようなものとは異なる。要するに、組織の中の方々が語る問題を、ごく短い時間でその本質を理解し、その保有者の心情を共有できなければならない。ケーシーも5番目の必要資質に感情移入を挙げている。

 

実は、こうした条件を一番備えているのは、行動科学の専門家ではなく、事業と人材育成に経験豊富なマネジャー自身である。そういう人は、きっと会社の中で相当高い評価を得ている人、つまりは、おカネを稼ぎ出せる人だろう。そういう人を内部コーチに当てる会社もまずない。だから内部のスタッフには悔しいが、アクションラーニングの運営は適切に経験を積んだプロに任せる方が、現実的な場合が多くなるのだ。内部コーチを否定はしないが、安易に取り組むと、第1回に述べたようにとんだ失敗例になってしまうので注意が必要である。私はそうした失敗後の相談に乗るのは、互いに大変非生産的なので少しでも減らしたくこの稿を述べさせて頂いた。委細はご質問をお寄せ頂きたい。



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