その19:正解指向にならないこと(自律と自己責任)

(2011.12.30)

受講者に演習前にご留意をお願いしている第三は、マネジメントに正解はないと言うこと。

正解指向にかたよれば、マネジメントの幅が拡がらないことは言うまでもないことだが、正解依存症の上司が、存外に日本的経営の時代よりも漸増していることは、さまざまな論者に指摘される通りだと思う。言い換えれば、定まった正解がある仕事と言うのは、基本的に、次元の高くない仕事であり、リーダーやマネジャーがその役割にふさわしい付加価値をつけられない仕事である。

例によって面接演習をイメージすると、自分に合ったやりかたと言うのは経験を踏まえ、自分が考え抜き選び身につける以外にない。どのように話し合いをじょうずに進めたらよいかと言う正解などはないのである。もし、このようにしゃべったら部下も納得するし問題も解決するなどと言うセリフのマニュアルがあったら大変である。

 
逆に言うとその種の一般論のハウツー本が多過ぎるとも言える。何をどうしゃべるかは、問題の難しさ、状況(切迫さ)、相手の能力・性格、自分の得手不得手、関係者への影響の配慮、そして何よりその時点までの彼我の関係に依るのである。あっと言う間に5次関数、6次関数になってしまう。それに瞬時に対処しなければならない。定規を当てて方程式を解いたり、マニュアルを引いているひまなど一瞬間と言えどもないのだ。そういう場の瞬間瞬間において苦しみ、考え抜き、時に不本意不覚を取って深くふり返るしか説得がじょうずになる方法などはないのだ。逆にそう言うものだとわかった上で本を読むと役に立つのである。

「困難な目標を部下に受け入れさせるにはどうしたらよいか」などと質問されるといちばん困る。そのような事柄にやり方などはないのである。今はJALの会長にもなられた京セラ創業者の稲盛和夫氏の著書を読むと、そうした論旨が随所に出てくる。「そう言う時は、どうあっても自分の考えを理解し、力を尽くして欲しいとあなた自身が全身全霊で説得する以外、部下を得心させる方法などと言うものはない。そこまで言うなら、ひとつこの上司のためにがんばってみようか、と相手が思うまで情熱をこめて話さなければならない。」と言うような趣旨である。学者の説を幾百ページ勉強するより、こうしたお言葉の方が、私たち実践者には有益である。要するに自分流にやるしかないのだ。

述語を使って言いかえれば、マネジメントにおいては、そうした各自固有のコミットメントが自分の基盤にしっかり備わった上で、傾聴だとか感情移入だとか、長所をほめよとか相手の立場への配慮などと言った、そうした少し普遍的な技術、スキルが活きるのである。


いつも面接の例ではとも思うので、たとえば戦略的意思決定の場面を思い浮かべて欲しい。アセスメントでは、分析発表演習や、案件処理演習において、重要な岐路に立った時である。どのような結論を採るかに、あらかじめ定まった正解などはないのである。採用された方針、戦略とその実行において、一貫性、妥当性、現実性などがあるかが問われる。その問われ方は全く多様であり、正解や規則通りに行ったかどうかなどと言う機械的なものではない。そうしたデザインを自由に描き、かつ結果は描いた人の責任であると言うのがマネジメントの世界であると思う。表題に自律と自己責任と付したのはこのことだ。正解やルールが決まっていると、それに従いさえすれば結果がまずくてもそれは自分のせいではないと言うことになる。そう言うのは事務処理ではあってもマネジメントではないのである。



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