その28:18の標準マネジメント能力要件…積極性

(2012.4.12)

積極性は人に先んじて行動することである。イニシアティブと言えばもう少しもっともらしい。


いちばん原初的な積極性は、ともかく人よりも前に出たがること。これはこれで大切なことだ。が、どう言うわけか、この種の積極性は、日本人が中心の多くの会社ではいまだにあまり好まれないようだ。人事考課要素には、たいてい「積極性」が入っているにもかかわらず、である。だいたいにおいて私たちは、他人を見る時に、成果に裏打ちされていない積極性をあまり好まない。しかし必ず成果を伴う積極性などと言うものはない。あくまで行動の傾向のことを言っているはずである。


この初期的積極性が、会議などで実質議論の呼び水となるわけで、組織運営に与える影響はさほど小さくない。それに最初に口火を切って物を申せば、それだけ賞賛、批判いずれであっても受け取るフィードバックは深くなり、その人の実質成長をもたらす。


先般ある会社の管理職候補の30代の若手の研修の末尾で、これが講師としての最後の質問だとして言った。


「今日のケーススタディから自分は何を学びどう活かしてゆきたいか、誰か発言していただけませんか。もちろんこんな質問に正解などはないので、自由に自分の考えを述べてもらえばよいのです。」


場がしんとして誰も発言しない。うしろに数人すわっていたオブザーバーの役員の中には祈るような顔をしている方がいたのが印象的だった。 

 

「どうかだれか進み出て立派な意見を言って欲しい。」


とお顔にくっきり書いてある。が、手が挙がらないので語調をゆるめて私がぼやいた。


「さてこれでは研修が終わりませんねえ、遠くから来た人は大変だ。」 

すかさず、誰から見ても、力が一頭抜きんでた受講者が手を挙げて所論を述べた。


そのご意見は、そして発言のご態度は言うまでもなく誠に立派なものだった。が、私にはやや不満である。彼ほどの力があれば、やや緊張感を残していた私の最初の質問に対し、間髪入れずに同じ応答ができたはずだった。そうしなかったのは、やはり同僚達の前で自分だけが目立つような振る舞いはどうなのかと言うためらいがあったからだ。そうした「感受性」は別な時に用いればよいのだ。ともあれ積極性と言うのは、発揮のしかたが難しい。


もう少し質の高い積極性は、いわゆるチャレンジ精神になる。困難な事には挑戦せずにはいられないと言うことだ。この辺は「決断力」の範疇に入るリスクテーキングとの境界は流動的になる。あえて分ければ、テーマ選択の困難さをいとわないのがチャレンジ精神であり、それを遂行するうちに、大きなリスクを伴う意思決定を迫られた時に、いたずらに避けずにそれを行うことがリスクテーキングである。


しかし、いつまでも成果が伴わないのでは困る。ただ、長い目で見れば、全くの安全志向で守りにしか意識が向かず、変化を忌み嫌えば、人も組織も必ず衰亡することはさまざまな歴史が教えてくれる。どの段階の積極性にせよ、積極性の高い人は、必ず人より多くの失敗をする。そこで大切なことは何も行動しない人よりもはるかにみのりのある深い経験が蓄積されて、次から一層質の高い行動が取れることだ。この差は少し長い目で見れば決定的なのである。


最高のセールスマンは最も断られた回数の多いセールスマンであると言う至言はこの場合正しい。それはセールスと言う仕事の特殊性だと言うのは当たらない。研究開発でも、多くのの試行錯誤を経由しないで、一発必中でヒット商品になるなどと言う話は聞いたことがない。


もちろん致命的な失敗はいけない。それを避けるのは、「判断力」の働きである。が、取り返しうる失敗の積み重ねなくして、一度も傷を負わずに大きな成果を得る道などと言うものは残念ながらないのである。そう言う苦難を少しもいとわない行動を「積極性」が高いと言うわけだ。


何もみずから行動しない人は、書評を読むように他人の行動を知識としては知り得ても、実はほとんど何も学び得ない。他人の経験から学び得るのは、自分も程度は別にして、似たような行動を取っている場合である。


こうして、当初は、人目に立ちたいと言う程度の積極性であっても、やがては自分と組織を衰退からしっかり守るためのものとなるのである。


もちろんいくら経験をしてもそれに学ばない人もいないではない。しかしそう言うことを繰り返すと、もはや積極性そのものがやがて全く通用しなくなってしまうだろう。


あるいは、いわゆる悪い意味でのパフォーマンスとして、擬似的なイニシアティブ行動を取る例がないとは言えない。そのあとの地道なフォローアップ活動を遂行する意思がないのに、人の注意を引き評価を高めるために、あたかも進取の精神を謳い上げるような場合だ。そう言う積極性をながめることを楽しまない人は少なくないだろう。が、そう言う行動は、実は誰しもわかっているので、あまりここで論じる必要もないとは思う。


ただし、正確にいえば、そのような場合であっても「積極性」は少々評価してよい(議論の呼び水にはなっているのである)。が、他の能力要件が足りないとされることが少なくないだろう。たとえば、はなばなしく花火は打ち上げたがその後の具体的構想が何もないなら「計画組織力」を欠く。言ったはいいが、うしろを見たら誰も着いて来ていないと言うなら「統率力」が足りないのだろう。気に入らない事柄に、ひとつ瑕疵を見つけたからと言って何もかもに多重に減点するのは、典型的な「ハロー効果」というもので、フェアーではない。能力要件体系は、それを行動ごとに正確に区分けするためにある。


「そういうことは、いつもいっしょにいるからわかるので、23日のアセスメント研修でそんなことがわかるのか。わからなければ、そうしたパフォーマンスに幻惑された評価(アセスメント)の妥当性に問題が残るのではないか。」


などとよく聞かれる。わかる理由を、分析的に述べようとすれば紙数はいたずらに増え、読者は興を失うだろう。もう一度言うが、そんなことは少しばかり組織の中で人間関係にもまれた経験がある人なら誰にもわかるのである。それがわからないようでマネジメントの先生など1日も勤まらないと言う理由がいちばんわかりやすいだろう。


ついでに言えば、私も含め、私が活用するアセッサーに組織経験がない人と言うのはいない。人に使われ、人を使い、人と競争して勝てば少しは良い気分になり、負ければ嫉妬も浮かぶ。すばらしい職務機会もあったかも知れないが、とんだくだらない仕事もさせられたこともある。組織経験とは、ありていに言えば、そう言うことだろう。だからよその団体のことまでは知らないが、私の場合にはそうした経験が活きている。


むしろ重要なことは、私も含め、世の上司の、そのようなくすんだ積極性ではない、若芽のような清新な積極性に対しての態度だ。「あいつは前向きでいいじゃないか」となかなか言わないものだ。それよりも「あいつはまだ未熟なのになまいきだ」と言って、せっせと他の欠点を探す確率のほうが一般にずっと高い。これは本当に気をつけないといけない。これは、何十年もマネジャーの方々と研修そのほかのさまざまな場面でごいっしょすると、自分も含めた上司の「習性」と言うより「通弊」がよくわかるから言っている。人と言うものはやっかいで、自分と同程度に相手が苦心惨憺して来ないと認めたくないわけだ。それと積極性とは何の因果関係もない。

 


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